じゃらし日和

脳内整理

friended

 

今日の朝のお話し。

最寄り駅へ向かう私の目の前を、小学生の頃のお友達が歩いていました。

彼を仮に『A君』としましょう。

 

A君からすれば、私のことは『お友達』と呼んで良いほどの仲ではなかったかもしれません。

しかし、当時の私からしたら皆『お友達』だったので、今回ばかりはお友達ということにさせてください。

 

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A君は周りからとても嫌われていました。

特に女の子から嫌われており、A君に触れられただけで泣き出してしまう女の子もいました。

嫌われてしまった理由は簡単です。

 

好きな子のリコーダーを舐める。

好きな子の体操服を盗む。

好きな子の上履きを嗅ぐ。

 

雰囲気でいえばこんな感じ。

思春期の男の子にありがちな、性への興味から起こしたと噂される、ある事件がきっかけです。

 

事件と呼ぶには少し大袈裟かも知れません。

職員会議が開かれることもなければ、学級会で議題に上がることもありませんでした。

証拠も何もなく、ただ、噂だけが独り歩きしていました。

 

 

私はA君のことを特別嫌うことも、好きになることもありませんでした。

A君の噂が本当だとしても、私自身には何も被害がないのですから。

子どもって残酷な考えを純粋に持っていますよね。

 

ただ、その噂を信じてA君を嫌う人が嫌いでした。

よってたかってA君に心無い言葉を浴びせ、何もされていない女の子が被害者面していることが本当に嫌でした。

被害者の女の子なら、当然、罵声を浴びせる権利はあると思います。

女の子の友達も、多少は権利があるのかもしれません。

それなのに、どうして無関係の女の子までA君をいじめるのでしょう。

 

 

A君は心が優しい子でした。

しかし、ある一定のラインを超えると、大声で泣きながら周りの物に当たり始め、大人の方に止めてもらうことが多々ありました。

ただ黙って辛い現実を耐えるよりも、感情を爆発させて周囲に気持ちを伝える。

A君の行動はとても正しいと思っています。

 

 

A君は頑張り屋さんでした。

『自分が走った陸上トッラクの周回数を自己申告する』という運動の時間があったのですが、決まってベスト3位に入っていました。

A君はその時だけ、とても嬉しそうな顔をしていました。

皆は口を揃えて「A君はそんなに走ってなかったよ」と言っていました。

 

 

そんな私は何度かA君の家に遊びに行ったことがあります。

妹もいてお母さんも優しくて、幸せそうな家庭でした。

A君も笑顔で、クラスの皆と何も変わりません。

A君は、学校でのことをどこまで話していたのでしょう。

A君のお母さんはどこまで知っていたのでしょう。

 

 

中学校へ進学すると、A君はいなくなっていました。

地域柄、中学のメンバーは小学校の頃と変わりません。

私立へ行く子、家庭の事情で引っ越す子、特別な事情がある子を除いて。

 

私の中のA君は、小学生の頃のまま変わっていません。

小学校を卒業後、どのような人生を送っていたのかもわかりません。

どこで誰と出会って何をしていたのか、知る由もありません。

 

そんなA君に、今日の朝、会ったのです。

 

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A君は、中学生のような服装をしていました。

お母さんが買ってきてくれたかのような。

英字がプリントされたTシャツに、七分だけのパンツ。

大きい黒い鞄に、少し汚れたスニーカー。

 

お洒落に関しては人それぞれなので何も言いません。

着たい服を着るべきであり、そこに他人がとやかく言うものではないと思っています。

決して馬鹿にしているわけでもありません。

 

 

A君の姿を見た時、何故か私は胸が苦しくなっていました。

言葉にできない感情を抱きました。

 

 

もしも、A君と私が仲良くなっていたら、一人でも心を開ける人がいたら、今とは違ったA君がいたのかもしれません。

いじめられた側は、ずっと当時の心を持ったまま、一生辛い過去を抱えながら生きていくのに、いじめた側は、そのことをすぐに忘れてしまいます。

 

今のA君が幸せなら、私の考えや気持ちは余計なお世話です。

勝手に自分の姿を見た昔のクラスメイトが、勝手に苦しくなって勝手に同情されてもいい迷惑です。

なんなら腹が立ちます。

勝手に人を可哀想扱いするなと。

今更何なんだと。

 

次に見かけた時には声をかけてみようかなとも思いました。

 

しかし、彼は私を覚えているでしょうか。

また、私が声をかけることで迷惑になってしまうでしょうか。

小学生の頃の嫌な記憶が蘇ったりしないでしょうか。

 

声をかけてあげることでA君が少し救われるのではないだろうか。

そう考えている自分に吐き気がしました。

どうして私は、自分が助ける側の人間だと思っているのでしょう。

どうして勝手に、A君は助けを求めていると決めつけているのでしょう。

 

きっと心のどこかで、A君を見下してしまっている自分がいます。

 

今も尚、純粋な気持ちで毎日を生きているA君と、

勝手に人を見下して、同情して、自分も苦しむ振りをして、罪滅ぼしをしている錯覚に陥り、一人で満足している私とでは、どちらが幸せなのでしょうか。

 

 

成人式の日、斜め前に一人で座るA君に声をかけられなかった過去の私を悔いて、

この気持ちをここに残しておこうと思います。

 

ありがとうございました。

 

※全てフィクションです。